PAH患者の皆様が快適な⽇常⽣活を送るとともに、
⼀歩前に踏み出すために、有⽤な情報をお届けします。

患者様インタビュー

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生活を
楽しむ

幼い頃からPAHを抱えながら、積極的に仕事や趣味など生活を楽しんでおられるOさんに、
前向きに生活するためのコツなどについて伺いました!

積極的に外に出て、
楽しいことを
見つけましょう!

  • 初めてPAHと診断された時にはどのように思われましたか?

     私は生後数カ月でPAHと診断されたので、物心がついた時には車椅子生活でした。小学校1年生くらいの時に、他の子は車椅子なしで生活しているのにどうして自分は、と不思議に思い両親に尋ね、自分がPAHであることを知りました。

  • PAHとお仕事の兼ね合いはどのようにされていますか?

     仕事については、私は幸運にも家族が経営する整骨院で働いているので、つらい時に休憩ができたりお休みをもらえたりするなど、融通が利き大変助かっています。整骨院にいらっしゃる一部の患者さんには病気のことを伝えており、「治療頑張ってね」と声をかけてくれるなど、温かく見守ってくださるのでとても励みになっています。

  • ご趣味についてお話を聞かせてください。

     私の趣味は旅行で、一番好きなのが大型テーマパークです。周辺のホテルも含め病気の人への対応が良く、私の場合は事前に連絡して在宅酸素療法の器具を置いてもらっています。病気の話が通じやすいので、PAHの方の旅行先としてお勧めです。
     飛行機を使う際は大手航空会社を利用すると、相談窓口で親身に話を聞いていただけますし、会員登録すると車椅子の大きさなどの情報も登録できるためスムーズに搭乗手続きが行えます
    大型テーマパーク以外では音楽のライブやイベントに行くことが多いのですが、そこで出会った方がご飯に誘ってくださることがしばしばあります。病気を持つ自分でも関係なく受け入れてもらえるのだと、前向きな気持ちにさせてもらえます。

    *ご旅行や飛行機の利用などについてはお出かけになる前に、主治医の先生にご相談ください。

  • 生活なさるうえで工夫されていることはありますか?

     私が生活で気をつけているのは、やらないといけないことは体調が万全になってからやることです。体調が良くない時に無理をしてもミスに繋がります。
     また、体調が良くない時に楽になる方法を知っておくことと、記録をつけることも大切です。症状だけでなく感情も併せて記録しておくと、後から体調不良の原因を考える上で役に立ちます。

  • 他のPAH患者さんに生活を楽しむためのメッセージをお願いします!

     皆さんもコロナが落ち着いたら積極的に外に出て、色々な物事や人々に触れてほしいと思います。すると楽しいことが見つかり、それが生きがいや前向きに生活していくきっかけになるのだと考えています。

趣味を
楽しむ

今回は、来年に長期のイタリア旅行を計画されているCさんに、
旅行の準備や趣味を楽しむための方法などについてお話しいただきました!

何か気になることを見つけたら、
「迷ったらイエス」とやってみましょう!

  • 初めてPAHと診断されたのはいつですか?

     17歳の時に別の病気で心臓手術を受けて、その後は自覚症状がなかったので自分は健康だと思っていました。ところが、2005年にひどい風邪のような症状が出たため病院にかかり、先生に手術歴を話したところ、「もしかするとPAHかもしれない」と言われました。そして紹介された大学病院でPAHと診断され、本格的に治療が始まりました。

  • ご旅行が趣味で、イタリア旅行を計画されているそうですね。

     イタリアのピエモンテ州にあるバローロという地方に行き、ワイナリーを巡ろうと計画しています。私はバローロ産ワインが大好きで、ワインがきっかけで産地についても調べているうちに興味が膨らみ、とても行きたくなったのです。できれば1カ月程度滞在したいと考えています。
     PAHと診断される前にもアメリカのベイルという標高の高いところにある小さな町に一人で行くなど旅行が趣味でしたが、PAHと診断されてからも、ロンドンやシンガポールに出かけるなど、引き続き旅行を楽しんでいます。

  • ご旅行の準備や旅先での注意点などで工夫されていることをお話しください。

     旅行前の準備は徹底的に行います。特に海外旅行では、PAHについて英文の説明書類を用意するほか、現地の言葉で体調を自分自身で説明できるよう予習しています。また、いざという時、旅行先のどの病院でPAHの治療を受けられるかも調べます。ロンドン旅行では、旅行会社に病気を伝え、万一の時のために24時間いつでも連絡がとれる体制を取っていただきました。
     身軽でいられるように、荷物は多くとも機内サイズのキャリーバッグ1個に収まるようにしています。PAH治療のために予備の薬剤のセットを持っていく必要がありますが、少しかさばる程度で重くないため負担にはなりません。

  • 趣味を楽しむために大切なことを教えてください!

     私は毎年新しい手帳にやりたいことのリストを作成しており、おしゃれなカフェに行くなど小さなことも含め、無理矢理にでも例年100個近くを挙げています。今はSUPに興味を持っていて、コロナが落ち着いたらやろうと考えています。やれたらいいなと思うことを、やるかどうか迷うだけで終わらせるのではなく、「迷ったらイエス」と考え、ちょっとでも手をつけてみることが趣味の入り口になるのだと思います。
     趣味は自分のパーソナリティの一部だとも言えるので、全部あきらめてしまうのはもったいないと思います。それぞれの症状や環境で可能な範囲でトライしてみることが大切ではないでしょうか。

    *SUP(スタンド・アップ・パドルボード)…ハワイ発祥のウォータースポーツで、サーフボードよりも少し大きめの板の上に立ち、パドルを漕ぎながら波乗りをしたり海の上を散歩したりするといったことが楽しめる水上アクティビティ。

※ご旅行や飛行機の利用などについては、お出かけになる前に主治医の先生にご相談ください。
治療法により旅行の際に持っていかなければならないものが異なります。

充実した
毎日を
過ごす

今回は、PAHと診断され余命宣告まで受けたものの、主体的に治療に向き合われ、
患者会の活動にも力を注がれているKさんにお話しを伺いました!

主体的に治療に取り組み、
やりたいことをできるように!

  • 初めてPAHと診断された時のことについてお聞かせください。

     約20年前に持病の経過を診てもらうため心臓の検査を行ったときに、PAH疑いで余命2年との宣告を受けました。当時はPAHの診断方法や治療法もあまり知られておらず、自分はもう2年後に死ぬものだと思って諦めました。しかし、友人がPAHについて調べてくれ、紹介してもらった病院で確定診断を受け、そこで治療ができる病院を紹介してもらい、治療を受けることになりました。

  • PAHの治療はどのように進められていますか。

     治療を開始する際、治療法をめぐっては医師との間に意見の違いがありましたが、議論を重ねた結果、自分の望む方法で納得のいく治療を受けることができました。現在も治療については医師と相談し、新しい方法を検討するなどしながらすすめています。
     亡くなるまで医師に言われるままの治療を受けていた患者会の友人がいましたが、私に何かできたのではないかと今でも後悔しています。自分の意思をきちんと伝え、主体的に治療に向き合っていくことが大切だと感じています。

  • 患者会での活動について教えてください。

     私は普段から電車や飛行機を利用していますが、その際内部障害者にとって不都合なことがあります。
    こういった公共交通機関は内部障害者も利用するものですので、関係機関や行政に改善すべき点を伝え、対策を講じて頂くようにしてきました。最終的に障害者も不便を感じずに生活できる多様性が重んじられる社会になればいいと思います。
     また、患者は病気を受け入れる過程で「怒り」や「うつ」といった段階を通りますが、そこから抜け出せない方もいます。患者会ではそうならないようにみんながニコニコできるような雰囲気作りができたら嬉しいなと考えています。その他にも臓器移植に関連する普及活動も大切なのではないでしょうか。実際このような活動を行うことが私自身の生きるモチベーションにもつながっています。

  • PAHを持つ方々にメッセージをお願いします!

     病気だからといってやりたいことを諦めるのでなく、主体的に治療に取り組み、できるようにする、という姿勢も大事だと思います。例えば温泉に入りたい場合も、医師との相談のもと、補助する人とともにであれば入って良いとなる場合もあるのではないでしょうか。
     患者会などで日ごろの愚痴などを仲間と話すことが私には大きな救いとなりました。仲間に心から感謝します!お話をしたり共に過ごす楽しさを多くの方々と分かち合えたら、とっても嬉しいなあ、と思います。

日常生活の
工夫を通じて
明るく過ごす

今回は、子供が生まれたばかりの時にPAHと診断され落ち込んだものの、今では持ち前の明るさを取り戻し5人の娘さんを育てていらっしゃるWさんに、病気と向き合い明るく生活するうえでの工夫についてお話いただきました!

生きていることの足跡を残したい、
と考え思い出を作っています!

  • 初めてPAHと診断された時の日常生活の工夫について教えて下さい。ご状況などについてお聞かせください。

     PAHと診断されたのは、今から約6年前、五女が0歳の時でした。その子を保育所に送るだけで息切れがひどく、保育所の看護師さんに、早く病院に行った方が良いと言われ受診しました。するとすぐにPAHを疑われ大学病院を紹介され、入院し2週間ほどで確定診断がつき、幸いにもスムーズに治療を始めることができました。
     しかし、先生から以前診たPAH患者さんの転帰を聞き、五女の入学式には参列できないのかと考えるなど、気持ちが落ち込み自宅に籠ってしまいました。その間は様々な勧誘に心が揺れてしまうこともあり、今思うと危なかったですね。

  • そのようなお気持ちをどのようにして変えられたのでしょう。

     1年ほどたったころ、唯一病気の相談ができていた友人から、「外に出よう」と誘われたことがきっかけでした。家から出て、日の光を浴び、花を見ることで気持ちが大きく変わりました。今ではスノーボードや山登りをしたり、温泉に行ったりと、障害者手帳によるメリットも活用し、アウトドアな趣味を楽しむことができています。また、以前の『Step by step』を読み、海外旅行も行ける可能性があると知り、まずは国内で飛行機を使って旅行してみようと考えています。今春は、五女と三女の小学校と中学のどちらの入学式にも参列でき、嬉しくてずっと泣いていました。日々の医療に感謝です。

  • 日常生活の工夫について教えて下さい。

     人数が多いこともあり、我が家の食事の支度はとても大変です。ですので、週末や体調がよい時に材料に下味をつけて冷凍保存し、食べる時に解凍して焼いたり温めたりするだけで済むようにしています。
     ヘルパーさんには、週4回1時間半ずつ来てもらっています。病気が分かった当初は来てもらう事に抵抗がありましたが、今はお願いできる部分については頼らせてもらうようにしています。
     買い物に行く際には、ドライブスルーや、先にネットで注文しておくと車まで商品を届けてくれるサービスなどを利用しています。子どもたちも行ってはくれますが、その場合はお菓子など余計なものも買ってきてしまいます(笑)。
     育児については、子どもたちが私のことを気にかけてくれるなどするので、むしろ助けられているような感じです。

  • PAHを持つ方々に明るく生活するヒントをお願いします。

     私は、「生きていることの足跡を残したい」と考えています。元気な時は子どもたちといろんなところに行ったり、体調が思わしくないときでも友達とオンライン飲み会をしたりと、やりたいと思うことがあったらせっかくだからと実行するようにしています。その時できる範囲のことを計画し実現していくことで、思い出ができますから。

仕事を
続けながら
前向きに
過ごす

今回は、介護士として従事されているときにPAHを発症し、現在は事務職として介護に携わられている北海道在住のYさんに、お仕事や気をつけていることなどについてお話を伺いました!

焦らず、前向きに生活することが大切!

  • 初めてPAHと診断された時のご状況やお気持ちなどについてお聞かせください。

     PAHと診断されたのは、私が25歳~26歳のころです。きっかけは健康診断で要再検査といわれたことですが、その前から息切れの症状がありました。
     私には他に持病があったので、「もう一つ病気が増えたのか」というのが最初の気持ちでした。しかし、PAHでは息切れがあるため普段の生活にも支障があり、次第に症状が悪化すると介護士を続けることが難しくなってしまいました。かといって、年齢を考えると転職も厳しいのではと思い不安でしたね。

  • 現在のお仕事についてお話しください。

     比較的体力を使わない業務に配置転換してもらいましたがそれでもきつく、転職し経理の仕事に就きました。しかし、やはり介護に携わりたいとの思いもあり、1年で辞めてしまいました。すると、元の職場の方から、事務職として復社しないかと電話をいただきました。突然休まなくてはならないこともあるからと、最初はお断りしたのですが、それでもとのことでしたので、とてもありがたく思い、復社しました。
     体調がよくないときもありますが、同じお給料をもらっているのだからと、気合で乗り切ることもあります(笑)。

  • PAH治療中の家族のサポートについてお聞かせください。

     一度入院し2 週間くらいご飯が食べられなかった時に、母が毎日お見舞いに来てくれていました。私はずっと寝ているのですが、たまに目が覚めて横を見ると母がパイプ椅子に座って本を読んでいます。家事もあるはずなのに、1日中付きっきりでいてくれたことは とても心強く、無償の愛だと感じました。

  • 普段の生活で気をつけていることや、新型コロナへの対策はどうされていますか。

     私は現在カテーテルで薬を投与しているのですが、もしカテーテルトラブルが起きたら1ヶ月は入院になるため、挿入時と薬の交換時は特に気をつけています。消毒やテープの貼り替えも毎日怠らず行うことが重要だと感じています。
     新型コロナ対策として、私はすでに4回のワクチン接種を終えています。また、コロナ禍前は片道2時間かけて札幌の病院まで通っていたのですが、コロナ禍となった当初は電話受診を活用させていただきました。今は近くの病院を紹介してもらい通っています。職場は介護の会社ですので、消毒などの対策は徹底しています。ただ、「もしかかったとしても、コロナには負けないぞ」という強い気持ちは持っています。

  • 同じ病気を持つ方へのアドバイスをお願いします。

     PAHの症状や副作用で悩んでいる方もおられると思いますが、主治医と相談しながら治療を続けていけばいつか解決するかもしれません。また、PAHとなりできなくなってしまったことでも、チャレンジしていればまたできるようになるかもしれません。このような考えで焦らず、前向きに生活することが大切だと思っています。

災害に
備える

今回は、東日本大震災で被災され、約3ヵ月もの間、PAHをかかえながら避難所生活を送られたHさんに、災害に備える工夫や日常生活のアドバイスなどについてお話しいただきました!

趣味などを通じて、
人の輪を広げることが良いと思います!

  • 初めてPAHと診断された時のご状況などについてお聞かせください。

     1990年代、私が20代後半の時、体力が落ち100メートルも歩けず、大好きなお酒もすすまなくなったため、職場の産業医に相談し大学病院を受診しました。最初は2週間の検査入院の予定だったのですが、PAHとわかり、薬の承認の関係で最終的には9ヵ月間入院することになりました。当時はPAHについてほとんど情報がなかったので、深刻な病気だという実感はあまりありませんでした。なによりも、早く退院して仕事に戻りたいという思いが強かったです。私の場合は幸いにも、治療を始めたらかなり早く体調が戻りました。

  • 東日本大地震で被災された際の避難所生活や治療について教えてください。

     東日本大震災では原発事故の影響もあり、3ヵ月ほど学校の体育館に避難しました。
     治療薬の投与に際しては、衛生上や人の目もあり、避難所内ではお薬の調整や器具の装着ができず、セコムさんに相談の上、車のトランクに器具やお薬を保管し車内で行っていました。お薬については、運送会社も放射能の影響で近くまで来られなかったため、セコムさんがヘリコプターで近くまで運んでくれました。ヘリポートからは、私が途中までマイカーで出向いて、ほかのPAH患者さんの分もまとめて受け取り届けました。

    ※PAH治療のサポートを行っている「セコム医療システム株式会社」のこと

  • ご経験から、災害への備えで必要なことについて教えてください。

     お薬や必要な器具などは、2ヵ所に分けて保管しておくことをお勧めします。私は、保冷剤の入っていないクーラーボックスに、1週間分のお薬、電池、アルコール綿などを入れて保管し、お薬が古くならないよう2、3ヶ月に1度は入れ替えています。近くに親戚がいれば1週間分くらい預けておくのもよいかもしれません。
     また被災時は停電していることもあり連絡手段に苦労しましたので、緊急連絡網などのサービスを利用されることも良いと思います。

  • 同じ病気を持つ方への日常生活などのアドバイスをお願いします。

     自分1人でいる時間が長いとネガティブになりがちですので、趣味などを通じて人の輪を広げることが良いと思います。また、患者会などを利用し、何でも相談できる同じ病気の人と連絡し合うこともお勧めします。当事者同士でないと分かり合えないこともありますから。今はコロナ禍でなかなか集まれていませんが、同じ病院に通院しているPAH患者さんたちとの懇親会でみんなと顔を合わせるととても安心できます。

子育てしながら
PAHとつきあう

今回は、4人の元気いっぱいなお子さんがいらっしゃるAさんに、子育てや日常生活の過ごし方、
PAH患者さんへのアドバイスなどについてお話しいただきました!

周りの人にも頼れる時は頼って、
無理せずこの病気とつきあっていきましょう!

  • 初めてPAHと診断された時のご状況、診断された時のお気持ちなどについてお聞かせください。

     私がPAHと診断されたきっかけは、現在2歳になる三男の妊娠中に、帝王切開に耐えられるかどうかを検査した際、「心臓に異常があるかも知れない」といわれたことです。そこで、大きな病院で診察してもらい、すぐに入院するよう勧められたのですが、「子どもがいるので難しい」といって帰宅したら、その夜におしるしがあり、そのまま出産しました。その後の記憶があいまいなのですが、色々と詳しくみてもらい、心臓カテーテル検査もしてもらったようで、PAHとわかりました。
     自分がPAHと聞いた時は、聞いたことのない病名のうえ、それまで自覚症状がほとんどなかったこともあり、「なぜ私が」「難病ってなに」「命にかかわるの」などの考えが次々浮かんだほか、「三男に影響がでるのでは?」と心配になり、とても不安になりました。

  • PAHを抱えての子育てで大変なことはありませんか。

     子どもは、現在2歳の三男のほかに、中学1年生の長男、小学4年生の長女、小学2年生の次男の4人兄弟です。4人とも妊娠も出産も普通の人と変わりなかったと思いますが、後からPAH患者にとって妊娠・出産は基本的に危険性が高いのだと知りました。
     今は育児に全力投球ですが、つらい時には最低限のこと以外は何もしないようにしています。そんな時は、長男が近所のコンビニエンスストアで、その日に必要なものを買ってきてくれます。また、夫は単身赴任中なので、近くに住んでいる私の母に応援を頼むこともあります。子どもたちも、私の顔色を見て「今はつらいのだな」と分かってくれます。

  • 今はどのようなことに気をつけていらっしゃいますか。

     入院中の病院食のおかげで体重が減ったので、その体重を維持するようにしています。また、水分制限と塩分制限もしています。とにかく、主治医の先生のおっしゃることをよく守るようにしています。買い物などででかける時は、新型コロナの流行もあるので人ごみを避けるようにしています。
     あと、自分の体調のことではないですが、一番下の子が注射用の針に当たらないようには特に気をつかっています。

  • 同じ病気を持つ方への日常生活などのアドバイスをお願いします。

     まだ完全に治す方法が確立していない病気ですので、不安もあると思います。私は現在症状が落ち着いているので、育児で毎日バタバタしていることもあり、あまり考えないまま過ごしています。心配ごとや不安は、月1回の外来の時、主治医の先生に何でもぶつけています。
     周りの人にも頼れる時は頼って、無理せずこの病気とつきあっていきましょう。

希望を持って
PAHとつきあう

今回は、まだ治療薬のない約30年前にPAHを発症されたものの、
意欲的に新しい治療に取り組まれ、今ではお泊り旅行を楽しまれているIさんに、
希望を持って生きる秘訣についてお話しいただきました!

楽しみを見つけ、それをモチベーションにして
日々を過ごせるとよいと思います!

  • 初めてPAHと診断されたころのご状況はいかがだったのでしょう。

     約30年前、三女の幼稚園のスポーツ行事で失神し、救急車で運ばれた大きな病院で心臓カテーテル検査を受けた結果、PAHと診断されました。その3年ほど前から何度か失神を繰り返していたのですが、近くの病院では原因はわからなかったようです。その後、夫のつてで専門医のいる大学病院を紹介してもらい診てもらっていましたが、当時はまだ肺高血圧症治療薬が承認されていなかったこともあり、症状はどんどん悪化していってしまいました。しかし、3年後に治療薬の認可がおりたり、その後もよいタイミングで新しい治療薬の治験に参加させてもらえたりするなど、不幸中の幸いでしたね。

  • 診断後のお気持ちについてお聞かせください。

     診断されたときは、図書館で病気のことを調べても悪いことばかりしか書いていなかったので、もうだめだと思い頭が真っ白になってしまいました。まだ幼稚園と小学校に通っていた3人の娘たちの成長をどこまで見届けられるのかと考え、1人で泣くこともありました。ただ、私よりも夫の方がショックを受けていたようでしたので、「自分が頑張らなければ」とも思いました。「母は強し」ですね。
     その後は治療薬が出てきたこともあって少し将来に希望が持てるようになりました。例えば、「娘のランドセル姿がみられた、セーラー服姿がみられた、その先の花嫁姿もみたいよね」と、これから待っている楽しいことを考えられるようになりました。

  • 今はどのようなことを楽しみにしていらっしゃいますか。

     医師に紹介してもらって参加した治験を経て今の治療法に変えてからは、外泊もできるようになったため、年に3回か4回、私が計画してお泊り旅行をしています。私たち夫婦と娘夫婦、それに孫たちの大人数で出かけるので計画が大変ですが、それが楽しみでもあります。一度大阪まで出かけましたが、私の場合、お薬のストック、在宅酸素療法の器具、車椅子と荷物が多くなるので、その時は夫の運転する車で行きました。
     また、庭には時期をずらして順番に咲くよう花を植えており、いつも次の花が咲くのを楽しみにしています。

  • 同じ病気を持つ方に希望を持って生きるためのアドバイスをお願いします。

     やはり楽しみをみつけることが大切だと思います。例えば、小さい楽しみなら、「今日こんな楽しいことがあった。明日も楽しいことがあればよいな」と考え、大きい楽しみなら、「あと○ヵ月後に旅行にみんなで行ける」と考えます。そのようなことをモチベーションにして日々を過ごせるとよいのではないでしょうか。

家族で
協力する

今回は、同時期にPAHと診断された仲の良いご姉妹であるEさんとYさんに、
PAHとつきあっていく上での家族との協力などについてお話しいただきました。

二人共、相談しあいながら、
工夫して仕事を続けられています!

  • 初めてPAHと診断されたころのご状況はいかがだったのでしょう。

    Yさん:私は、19歳から独り暮らしをはじめたのですが、その時住んでいた建物が3階建で帰宅するため階段を上がるたびに、30分ほど休まないと息が苦しくなっていました。当初は休めばもとに戻るのでこんなものかと気にしませんでしたが、そのうち2階まで上がるだけでも目の前が真っ白になり、息も満足にできなくなりました。ちょうどそのころ近所に新しく開業した循環器内科のクリニックで診察してもらったところ、PAHではないかということで、現在も通院している岡山市の病院を紹介してもらい検査を受けた結果、PAHと診断されました。クリニックの先生が、たまたま現在の主治医の先生の後輩で、PAHのことをよくご存じだったのが幸運でした。
    Eさん:妹がPAHだと診断され病院に話を聞きにいった際、遺伝性もあるということで私も検査を受けPAHと診断されました。私たちの父が2000年にPAHで他界していたため、いろんな先生から私たちも遺伝性のPAHになる可能性があると聞かされたのですが、その時は自覚症状もなかったので、あまり気にしていなかったですね。私も荷物を持って階段を登った時に他の人より呼吸が苦しくなっているなと思ったりはしたのですが、運動不足ぐらいに思っていました。妹が病院に行っていなかったら私が診断されるのはもっと遅くなったでしょうから、妹に命を救われたと思っています。

  • 診断後のお気持ちについてお聞かせください。

    Eさん:父が闘病していたころは、治療方法が限られていたこともあり、闘病3年で他界しました。だから自分も、あと数年ほどの命かと悲観的になり、正社員の仕事を辞めてアルバイトをしながら好きなことをやろう、と考えていました。でも、主治医の先生から新しい治療方法の話を聞いたり、先生に紹介された患者さんが普通に生活されていると聞いたりして、希望が持てるようになりました。
    Yさん:これまでのつらさの原因がわかって、「やっぱりそうだったのか」という気持ちでした。その時すでに今の夫と一緒に暮らしていたのですが、とにかく迷惑をかけたくないと思いました。

  • 診断後もお仕事をお続けなのですね。

    Eさん:私の勤め先は学習塾なのですが、非常に理解があり、負担の少ない部署に配置転換してもらい、治療や診察で休む時も柔軟に対応してもらえます。ですから仕事を辞めることなく、同じ職場で働けています。
    Yさん:私は、PAHと診断される前は造園設計の仕事をしていたのですが、現場などでかかわる人が多く負担が大きいので転職することになりました。今は個人でのフラワーアレンジメントの仕事と、花屋でのパートをしています。個人での仕事はあまり短い期限で受けてはいないので融通はききますが、イベントなどがあると休めないですね。パートに関しては当日休むというのは難しいですが、早く帰れたりとかの融通は効くので働きやすくとても助かっています。
    Eさん:私のところぐらい理解のある職場を見つけるのはなかなか難しいとは思いますが、二人共、相談しあいながら、工夫して仕事を続けられています。

  • 病気について周囲の人に話されていますか。また、同じ病気の人との交流はありますか。

    Eさん:仲の良い友人にはどんな病気かや、突然体調が変わった時のために、緊急連絡先、かかっている病院、主治医の先生のお名前を、診断されて間もないころに伝えました。友人も病気だからと言って離れていくのではなく、私に無理をかけないよう工夫して付き合い続けてくれてとてもありがたいです。
    Yさん:岡山の病院が主催してくださる患者会に入っていて、そこで友人ができたり、たまたま同じ時期に入院している患者さんと仲良くなったりして、情報交換するようになりました。大変だった闘病のことを笑いながら話し合うことも、前向きな気持ちを持つことや不安の解消になります。
    Eさん:自分が入院している時に同じ病気の友人も入院していると合宿のような気分になります。主治医の先生が学校の先生みたいな感じで(笑)。

  • ご姉妹やご家族で協力されていることはありますか。

    Eさん:妹と外来の日を同じ日にしています。一緒に病院に行き、その時の診断の結果などをお互いに知っておくようにしています。やはり病気のことは妹であればすごく話しやすいのでとても助かっており、精神的に支えられている部分が多いと感じています。家族には、体調が良くない時の送り迎えだったり、遠慮なく荷物を持ってもらったりしています。
    Yさん:姉や家族とはSNSのグループでいつも通話しており、変わったことがあればそこで話しています。また、夫が生活全般を支えてくれています。本当に良い夫を見つけたと思います。
    Eさん:妹の旦那さんが私も病院に連れて行ってくれたり、私が入院していると妹とお見舞いにきてくれたりもするんですよ。

  • 他のPAH患者さんに、毎日を前向きに生活して いくためのメッセージをお願いします。

    Eさん:日常で、小さくても良いので自分の好きなことをすることだと思います。例えば、好きなお茶を飲むとか、好きな服を買うとかでも良いので、それを続けることですね。また、目標や夢をノートに書きだして、可視化するのも良いのではないでしょうか。私は、入院中もノートを持ち込んで、やりたいと思ったことや思いついたレシピを書き溜め、帰ったらやろう、または作ろう、と退院を楽しみにして過ごしています。
    Yさん:私も自分の好きなことをするのが一番かと思います。フラワーアレンジメントを個人で始め、最初は大変でしたが、規模は大きくなくても自分の好きなことを仕事にしているので、ちょっとでも楽しくできているかと思います。好きな仕事に取り組んでいると、病気を忘れられる時間が作れると思います。
     また、姉の家には犬、私の家にはウサギがおり、先程お話したSNSのグループでもよくそれぞれのペットの話をしています。飼っているペットのために頑張ろう、というのも前向きに生活する励みになっています。

今できること
は何か、を
考える

今回は、健康診断をきっかけにPAHと診断されたものの、患者会に加入することで不安が
解消され、前向きに治療に向き合いながらバードウォッチングなどの趣味を楽しまれるYさんに
お話を伺いました!

『ムリしないことをがんばる』生活の中で
楽しみを見つけています!

  • 初めてPAHと診断された時のことについてお聞かせください。

     20年近く前、職場の健康診断で再検査となり、病院で診てもらった際にPAHと診断されました。小さい頃から心臓に持病があり、健康診断でよく引っかかってはいたのですが、難病であるとのことで驚きました。診断された先生は心配させ過ぎないようになのか、診断直後はPAHについて詳しくは説明されませんでしたが、気になってネットで調べると10年でほとんどの方が亡くなられる病気などと書いてありましたので…。

  • PAHの治療はどのように進められていますか。

     PAHと診断されてから10年程は仕事を続けながら治療をしていました。その後特に症状が悪化したり薬が効かなくなったりしたことはありませんでしたが、患者会で病気について学んだこともあり、積極的に自分から主治医の先生と相談して治療法の変更を決め、それに先立ち退職し治療に専念することにしました。去年も薬を変更しましたが、先生と相談しながら前向きに治療を進めています。

  • 日常生活での工夫や、楽しみについて教えてください。

     生活の工夫としては、第一に無理をしないということでしょうか。一個やったら一個諦めるといった具合で。「今日は掃除をしたから料理は簡単にしよう」などと、がんばり過ぎないようにしています。お買い物は好きなのですが、体調が優れず出かけられない時もあるので、宅配サービスを利用し食材や日用品を購入しています。
     退職後は家にいる時間が増えたので窓からよく外を眺めていたのですが、ある時鳥の巣があるのを見つけたのがきっかけで、バードウォッチングが趣味になりました。今は庭にバードテーブルを置いていて、餌を食べに来る鳥を観察したり、元気な時は近所の公園に出かけて鳥の写真を撮ったりしています。

  • 患者会での活動についてお聞かせください。

     患者会での専門医のセミナーで、病気の特徴や治療の正しい知識を学び、これから新しく出てくる薬や治療法の情報を得ることで希望が持てました。また、同病の方とおしゃべりし、生活の工夫をお聴きしたり、お仕事をがんばっている方がいたり、同じ苦しい思いをしている方がいると知ることで、自分の励みになります。
     医療の発展により亡くなる方は減っていますが、PAH自体が軽い病気になっている訳ではありませんので、しっかりと知識を身に付け、気を付けながら生活することで後悔のない人生にできれば…と願っています。とはいえ、つい動き過ぎて、後から疲れてしまうこともあるので、『ムリしないことをがんばる』生活を心がけていきたいですね。

  • 他のPAH患者様にメッセージをお願いします。

     私自身も行動に制限がありますが、「できないことは、できないんだ」と割り切って、「今できることは何かな」と考えて生活するようにしています。また、短期と長期の目標を立てて、「来年はこれができたらよいな、10年後にはこうなればよいな」と楽しく考えて治療に取り組むようにしています。

家族との
生活や仕事を
楽しむ

今回は、難病である混合性結合組織病と診断された3年後にPAHを合併され、
一度はほぼ寝たきりの状態になったものの、
今はお仕事もされ充実した毎日を送られているMさんにお話を伺いました!

*混合性結合組織病:免疫が関係する指定難病のひとつ。手足の冷感やしびれ、手指などの腫れ、筋力の低下、関節炎、腎炎などの症状がみられ、PAHを合併することもある。

家族や仕事などでの人とのコミュニケーションが、
生きる力になるのではないかと思います!

  • 初めてPAHと診断された時の状況やお気持ちを教えてください。

     PAHと診断されたのは12年ほど前ですが、その3年前に難病である混合性結合組織病と診断されていました。その時はちょうど息子を妊娠中で、無事出産できるかや5歳上の娘のことなどの心配が先に立ち、病気について調べたものの全く頭に入ってきませんでした。息子の出産後は体調が非常に悪く大変な毎日でしたが、いつも子ども達のことで頭がいっぱいで自分のことで悩む暇もなく、子ども達が生きる糧にもなっていました。
     PAHについては、息子の出産の約3年後に、定期診察でレントゲンを撮った際に先生から要注意と言われていましたが、その2ヵ月後に失神し大学病院で診てもらったところ確定診断されました。難病を二つ背負ったことで、「なんで私がこんな病気に」などと考え込んでしまうこともありました。

  • PAHを合併してからの生活についてお聞かせください。

     PAHを合併してからの約10年間は、動くと動悸・息切れがひどく、ほとんど寝たきりの生活でした。離婚を経験し実家に戻り、子ども達の世話は両親に任せていました。
     しかし、「これではいけない」と考えて、体力をつけ仕事を探すことにしました。今は就労継続支援B型を利用して、コッペパンのお店で働いています。仕事は基本在宅ですが、週に1度お店に出ています。誰かとコミュニケーションを取る仕事がしたいと思っていたので、楽しく、やり甲斐を感じています。

  • お子さん達との生活について話を聞かせてください。

     息子はADHDとASDを患っていて3年間施設に入所していたのですが、今年の春から支援学校に通うようになり、私と二人で暮らしています。二人で暮らすことを決めた際、息子に食器洗いや洗濯物干しなどを任せることにしたのですが、今も継続してくれています。最近では、私の体調が悪い時に自閉があるのに1人で買い物に行ってくれました。また、ご飯を作ると喜んで食べてくれるのはとても嬉しいですね。
     娘は、今は保育士を目指して実家から短大に通っているため一緒には住んでいませんが、障害のある息子や私にもすごく優しく接してくれます。3人でいると「やっぱり3人がいいよね」などと話はしますが、娘は娘で夢があるので応援しています。子ども達と一緒に外出する時、酸素吸入の機械を持ち歩くので、「こういうお母さんで恥ずかしくない?」と聞くと、「でも、それがお母さんでしょ」と、気持ちに寄り添ってくれます。

    ※ADHDとASD:ADHDは注意欠如・多動症、ASDは自閉スペクトラム症の略称。
    ともに生まれつきの精神疾患で、ADHDは不注意、多動性、衝動性、ASDは対人関係が苦手、強いこだわりといった特徴を持つ。

  • 他のPAH患者様にメッセージをお願いします。

     私の場合は、子ども達との生活の楽しさと仕事のやり甲斐が大きな支えになっています。子ども達とは一緒にゲームや音楽を楽しむなど、友達のように接しています。また、最初はお薬をたくさん飲むのが大変だったのですが、息子もお薬を飲んでいるのでお手本になるようにと考えることで続けられています。仕事では、現場に行くと他の利用者さんとの会話がすごく楽しいです。皆さんにとっても、家族や仕事などでの人とのコミュニケーションが生きる力になるのではないかと思います。

山と病気と
暮らす

今回は、3年前にPAHと診断されてからも趣味の野鳥の撮影のために、
時期によっては毎日のように山に通われている70代のAさんにお話を伺いました!

自分の趣味や目標を見つけ、
それに向かっていけばよいのではと思います!

  • 初めてPAHと診断された時の状況やお気持ちを教えてください。

     PAHと診断されたのは3年ほど前ですが、以前から畑仕事の時の息切れが気になっていました。ただ休めばよくなることや、会社の健康診断では深刻な結果ではなかったこともあり、大したことはないと自分に言い聞かせて過ごしていました。
     しかし、タバコを吸っていることもあり病気かどうかはっきりさせたいと決心し、近所の病院で診てもらったところ、もっと詳しく検査してもらえる病院に行った方がよいと言われました。その後紹介された大学病院でカテーテル検査を受け、PAHと診断されました。
     PAHと言われた時にはもちろん落ち込みましたが、治療を始めると随分楽になったので意欲もわいてきました。ただ、畑仕事ができなくなったのは残念ですね。

  • PAHと診断されてからの生活について教えてください。

     妻が他界してからは自宅で一人暮らしをしており、発症後も生活は変わっていません。日常生活では体調がよくない時もありますが、必要なものを身近に置いてあまり動かなくてよいようにしています。かかりつけの病院には自分で車を運転して行きますが、月に一度少し距離のある大学病院に行く時は、妻のお姉さんの車に乗せてもらいます。病院内は広くて息が切れてしまうので車椅子で移動しています。

  • ご趣味や楽しんでいることについてお話を聞かせてください。

     私の趣味は野鳥の撮影です。オオタカのような猛禽類からカワセミやウグイスなどの小さな鳥までいろいろな野鳥を撮りますが、佐渡から飛んできたトキをカメラに収めたこともあります。撮影したものをプリントして希望する人にあげると喜んでもらえるので、それが楽しみです。撮影には、重さ8キロ近い撮影機材、薬や酸素まで車に積み込んで山に入ります。撮影場所は現在住んでいる場所よりも標高が高いので、準備を万全にして出かけます。仲間と共有している撮影ポイントは車を降りてから20~30メートル歩いたところなので、山で呼吸が苦しくなるようなことはありません。
     また、家まで車で迎えに来てくれる近所の仲間と、居酒屋でよもやま話をするのも楽しいですね。直接来てくれるので断れなくて(笑)。

  • 他のPAH患者様にメッセージをお願いします。

     私も一時期ガクンと弱ったことはありましたし、写真を撮りに行きたくないと思うこともありました。でも、写真の趣味があるおかげで、「今日は準備をして朝早く出発しなければ」などと考え早起きするので、生活にメリハリができています。みなさんも何か自分の趣味や目標を見つけ、それに向かっていけばよいのではと思います。私の場合はそれが写真とお酒です(笑)。

※飲酒により症状が悪化する可能性がありますので、飲酒については必ず主治医の指示に従ってください。

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